このたびは、津山とゆかりの深い森さんに登場願って、いろいろと当時の苦労話や様子をお聞きしたいと思います。
それでは森さんをご紹介しましょう。
〈森忠政公プロフィール〉 |
森 忠政 |
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森 可成の六男として美濃に生まれる。
本能寺の変で織田信長と討死した森蘭丸の弟 |
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1603年 津山城主となる。
1604年 津山城築城着手
1616年 津山城竣工
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今日は森さんと私(森さんの友達の文さん)の対談という形式で進めてみたいと思います。
(文さん)
森さん、こんにちは!今日は、1604年から13年の年月をかけて建設されました、
津山城築城当時の苦労話についてお聞かせ願いたいと思います。
(森さん)
そうですね。最初は建設位置を院庄に決めたわけですが、鶴山に変更しました。
もともと鶴山は、山名氏の旧塁があったので、それを基に築城を開始しました。
(文さん)
そうですか。旧塁があったにしても高さ45mにもおよぶ石垣があったわけではないでしょうから、
その石はどこから切り出し運ばれたのでしょうか。
(森さん)
石材の多くは、鶴山の南約2.1kmに位置する大谷山やそれよりもう少し南の
金屋山から切り出し運搬しました。
(文さん)
建築用の木材はどこから切り出したのでしょうか。
(森さん)
木材は北部の山林をはじめ領内の各地から採り集めました。
当時は今の様にチェーンソーやクレーン、掘削機、ダンプトラックもありませんから大変でした。
全て人力作業でしたから13年間もかかってしまいました。
(文さん)
でも、その城は明治6年に取り壊しが命じられ、石垣が残るのみとなりましたね。
(森さん)
はい、私も非常に残念です。当時多大な労力と莫大な工事費を費やして、
建築した汗と涙の結晶ですからね。
(文さん)
一時は、天守をはじめとする建造物や土地はすべて公売され、
外堀や旧塁も改変されましたが、城郭の主要部である本丸、二ノ丸、三ノ丸の縄張は原型をよくとどめ、
今日に至っていますね。
(森さん)
2004年には、築城400年になりますが、昔のあの雄壮な五層の天守閣が
ふたたび建設される日を心まちにしています。
(文さん)
そうですね。津山城整備計画の策定に当たっては、ご意見をお聞かせ頂きたいと思います。
本日は、大変お忙しい中おいで頂きありがとうございました。
ということで、本日は森忠政さんに登場して頂きました。
いっぺん 津山へ きんちゃい!
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お 問 い 合 わ せ
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勝北町総合スポーツ公園管理センター TEL(0838)36-5800
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備前・美作五十三次ふれあいだより
国道53号グレードアップ委員会
(事務局 津山市都市建設部土木課内)
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